
いつもの散歩道、川縁の長ネギ畑の傍らで6羽のアオサギが耕運機の音も、線路を通過する車両の音にも慣れてしまったのか気にせずダンスのようです。
年に2度恋をするといわれるアオサギ、恋は盲目なのかアオサギも人も同じようです。
散歩道
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近くのショッピングセンターではもう夏祭りのイベントが始まり、朝からにぎやか。
いつもの散歩道、傍らの樹木も花も夏の舞。
音もなく静かだが、無為自然の演舞に引き込まれる
のは太古の神が今もどこかに宿っているからでしょうか。
釣鐘草とカイズカイブキ 前をよこぎるアオサギ1羽
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれている絵画の定義を要約すると、
「絵画の誕生は、およそ2万年前のラスコー洞窟の壁画からとされている。
しかし、芸術の一分野としての絵画の概念が産まれるのはルネサンス以降のヨーロッパ
においてである。
その絵画の第1の定義は「キャンバスに油彩を施したもの」
であるが、油彩画の初期には板絵があり、油彩以前にはテンペラ画もあった。古くは壁に
直接描いていたものである。
そういった古いものも絵画として認識するためには、
第2の定義、「キャンバスや板、壁など何らかの支持体の上に、絵具、すなわち顔料とそれ
を分散させ支持体に定着させるためのメディウムを混ぜたものを筆などにより塗布、定着さ
せて描く手法およびその作品」となり。
現代においては 新しい絵画素材や表現手法が出て、岩絵具を使って描かれた日本画、ア
クリルやガッシュ、水彩も絵画に含まれる。
パステルや色鉛筆で描くのは「ドローイング」として絵画とは区別されているようである。
絵付けされた壺や絵皿・染色・象嵌、螺鈿などは工芸に分類される応用芸術であり、紙の
上に鉛筆や木炭、コンテなどで描かれた素描(スケッチ、デッサン)は下絵で、これらは絵
画ではない。
東洋美術には書画があるが、書は絵画ではない。浮世絵が版画に分類され、絵巻物や
図屏風、壁画がはたして絵画に相当するのか又、切り絵や貼り絵、コラージュ写真、はど
うか議論のあるところ。
現代美術においては、絵画の代わりに、「平面作品」と言葉が変わっただけで曖昧でしか
ない。
純粋芸術の絵画と、応用芸術である挿絵やイラストレーションは別のものとされてきたが
1970年半になるとモダニズムは力を失い、純粋芸術が他と区別されるものは何なのか、
現在その違いを語ることは非常に難しくなってきている。
第3の定義として「壁に設置されて観賞できる芸術作品」とも言えるが、これはすでに「絵
画」とは別の概念かもしれない。」・・・・・・・とあります。
上記を総括すると、
絵画=支持体の上に顔料を定着させて描く手法の作品でイラストなどの応用芸術作品も
含む純粋芸術作品ということになるらしい?
芸術作品かどうかは別として、第2の定義で制作された作品が一般的に絵画であるとい
う共通認識になっているようです。
グラフィックソフトやペンタブレットなどを用いてパソコンで制作された絵は顔料プリンター
で紙などの支持体にプリントされてはじめて版画として分類されるらしい。
とすれば、モニターに写し出されたプリント前のデジタルデーターは絵画でもなく、ドロー
イングでもなく、工芸品でもないらしい。
プリントもされずにブログ用に解像度を落とした画像がネットの中を漂流し、モニターの中
を移ろう光の3原色であろうとも、魂を写し出すことに変わりがないはず。
絵画とは元々魂を写し出す為のものではなかったのでしょうか。
「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」とは映画監督の巨匠 黒澤明の名言ですが、
魂が現れるのはキャンバスなどの支持体の上だけではないようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がパソコンで絵を描くきっかけを作っていただいた休日画廊さんのHPをご紹介します
ぜひお立ち寄りください。
--------心の休日を求める方へ 「休日画廊」---------
http://holidaysgallery.jpn.org/home/index.html#gallery
心休まる風景や静物をペンタブレットとパソコンで描かれています。
←美術の匠達が住む村へどうぞ
「絵画の誕生は、およそ2万年前のラスコー洞窟の壁画からとされている。
しかし、芸術の一分野としての絵画の概念が産まれるのはルネサンス以降のヨーロッパ
においてである。
その絵画の第1の定義は「キャンバスに油彩を施したもの」
であるが、油彩画の初期には板絵があり、油彩以前にはテンペラ画もあった。古くは壁に
直接描いていたものである。
そういった古いものも絵画として認識するためには、
第2の定義、「キャンバスや板、壁など何らかの支持体の上に、絵具、すなわち顔料とそれ
を分散させ支持体に定着させるためのメディウムを混ぜたものを筆などにより塗布、定着さ
せて描く手法およびその作品」となり。
現代においては 新しい絵画素材や表現手法が出て、岩絵具を使って描かれた日本画、ア
クリルやガッシュ、水彩も絵画に含まれる。
パステルや色鉛筆で描くのは「ドローイング」として絵画とは区別されているようである。
絵付けされた壺や絵皿・染色・象嵌、螺鈿などは工芸に分類される応用芸術であり、紙の
上に鉛筆や木炭、コンテなどで描かれた素描(スケッチ、デッサン)は下絵で、これらは絵
画ではない。
東洋美術には書画があるが、書は絵画ではない。浮世絵が版画に分類され、絵巻物や
図屏風、壁画がはたして絵画に相当するのか又、切り絵や貼り絵、コラージュ写真、はど
うか議論のあるところ。
現代美術においては、絵画の代わりに、「平面作品」と言葉が変わっただけで曖昧でしか
ない。
純粋芸術の絵画と、応用芸術である挿絵やイラストレーションは別のものとされてきたが
1970年半になるとモダニズムは力を失い、純粋芸術が他と区別されるものは何なのか、
現在その違いを語ることは非常に難しくなってきている。
第3の定義として「壁に設置されて観賞できる芸術作品」とも言えるが、これはすでに「絵
画」とは別の概念かもしれない。」・・・・・・・とあります。
上記を総括すると、
絵画=支持体の上に顔料を定着させて描く手法の作品でイラストなどの応用芸術作品も
含む純粋芸術作品ということになるらしい?
芸術作品かどうかは別として、第2の定義で制作された作品が一般的に絵画であるとい
う共通認識になっているようです。
グラフィックソフトやペンタブレットなどを用いてパソコンで制作された絵は顔料プリンター
で紙などの支持体にプリントされてはじめて版画として分類されるらしい。
とすれば、モニターに写し出されたプリント前のデジタルデーターは絵画でもなく、ドロー
イングでもなく、工芸品でもないらしい。
プリントもされずにブログ用に解像度を落とした画像がネットの中を漂流し、モニターの中
を移ろう光の3原色であろうとも、魂を写し出すことに変わりがないはず。
絵画とは元々魂を写し出す為のものではなかったのでしょうか。
「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」とは映画監督の巨匠 黒澤明の名言ですが、
魂が現れるのはキャンバスなどの支持体の上だけではないようです。
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私がパソコンで絵を描くきっかけを作っていただいた休日画廊さんのHPをご紹介します
ぜひお立ち寄りください。
--------心の休日を求める方へ 「休日画廊」---------
http://holidaysgallery.jpn.org/home/index.html#gallery
心休まる風景や静物をペンタブレットとパソコンで描かれています。

ジャガイモ畑に黒くたなびくのは彼の兵隊達だ。
すずめ、カラス、他の名前も知らない鳥達から、
彼の人生をかけてきたこの畑を守るのだ。
もう何十年戦も戦ってきた。
気が付けば、あんなに広々とした畑にいつの間にか幹線道路が突き抜け
ショッピングセンターが建ち並び、新興住宅にかこまれてしまった。
本当の敵はすずめやカラスじゃなかったようだ。
だが、今年もかかしを立てた、男の気概という「案山子」をね。
散歩道
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第二次世界大戦勝利、東西冷戦勝利、石油の錬金術と、軍需産業による錬金術で、
大量生産、大量消費、大量の二酸化炭素排出で栄華を極めたアメリカ。
サブプライム処理でつまずくアメリカから逃げ出すドル投機マネー、今はすっかりた
そがれ時の感がある。
アメリカ現代美術の先駆者達の作品もアカデミックの殿堂入り。オークションでは新鮮
味の無い商品になりこちらもたそがれ時。
変わってアジア新興国のニューリッチと画商、サザビーズオークションの思惑が一致し
アジア産、新具象の新商品展開機運、売れているそうです。(日本のもではオタクフィ
ギュア関連だけとか)
歴史を振り返れば、宗教画は教会がスポンサー、王侯貴族がスポンサーの権威象徴
絵画, 産業革命時の富豪のポートレート、 これら広告メディアとしての機能を写真の発
明に追われつつ、チューブ入り絵の具の出現で職業画家以外の誰でも描ける時代へ。
区別化差別化の必要性をせまられ芸術と言う名でヨーロッパ近代絵画が出現。
もちろん画商と評論家の力が購買力を高めたのは事実。
話は又アメリカに戻り、現代美術(もはや現代とは言わないかも?)の
アンディ・ウォーホルは「私は機械になりたい」と言い、工房ではなくファクトリー(工場)
で製作されたスクリーン版画にサインを入れ作品(商品)としたけれど、自ら関与なしで
スタッフが製作したものであっても本人が「良し」と思うものにはサインをしてウォーホル
の作品となっているものもあると言う。
本人にとってはキャンベルスープと同じ工場生産の商品なのです。
しかし、ウォーホルの功績は広告メディアとしての絵画の歴史を逆手に取り、マス・メデ
ィアの威力を最大限活用し自らの作品を宣伝するやり方は美術界に大きな影響をもた
らしたことだと思う。(応用美術、商業美術に飲み込まれたファインアートの衰退の始まり)
又、この大量消費時代に流されながらも日常を取り巻く雑多の中に自らの目で新たな
価値を見出す感性能力は非常に高かった。。 (退屈なエンパイヤービルの風景映像・
日々食べているインスタント食品の記号的デザイン、 時のスター達のグラビア写真、
飽きられ捨てられた雑誌や雑貨・すぐに忘れられる日々のニュースなど事象と映像の
記号化による美術品としての価値観の変換)
飛躍しすぎかもしれませんが、利休がそれまでは朝鮮の雑器でしかなかった高麗茶碗
に茶の湯の精神を注ぎ、信長や秀吉に高額で引き取らせるだけの目利きと第三者の
見方を変えさせるすごさを感じてしまうのですが、
(贅沢三昧の秀吉への戒めを込めた、時の財政基盤である堺集(経済界)の要望ではな
かったか)
ウォーホルに多少ダブらせて見てしまうのは私だけでしょうか?
・・・・・・・無心無作 もの是(これ)すべて仏なり・・・・・・・・
←美術の匠達が住む村へどうぞ
大量生産、大量消費、大量の二酸化炭素排出で栄華を極めたアメリカ。
サブプライム処理でつまずくアメリカから逃げ出すドル投機マネー、今はすっかりた
そがれ時の感がある。
アメリカ現代美術の先駆者達の作品もアカデミックの殿堂入り。オークションでは新鮮
味の無い商品になりこちらもたそがれ時。
変わってアジア新興国のニューリッチと画商、サザビーズオークションの思惑が一致し
アジア産、新具象の新商品展開機運、売れているそうです。(日本のもではオタクフィ
ギュア関連だけとか)
歴史を振り返れば、宗教画は教会がスポンサー、王侯貴族がスポンサーの権威象徴
絵画, 産業革命時の富豪のポートレート、 これら広告メディアとしての機能を写真の発
明に追われつつ、チューブ入り絵の具の出現で職業画家以外の誰でも描ける時代へ。
区別化差別化の必要性をせまられ芸術と言う名でヨーロッパ近代絵画が出現。
もちろん画商と評論家の力が購買力を高めたのは事実。
話は又アメリカに戻り、現代美術(もはや現代とは言わないかも?)の
アンディ・ウォーホルは「私は機械になりたい」と言い、工房ではなくファクトリー(工場)
で製作されたスクリーン版画にサインを入れ作品(商品)としたけれど、自ら関与なしで
スタッフが製作したものであっても本人が「良し」と思うものにはサインをしてウォーホル
の作品となっているものもあると言う。
本人にとってはキャンベルスープと同じ工場生産の商品なのです。
しかし、ウォーホルの功績は広告メディアとしての絵画の歴史を逆手に取り、マス・メデ
ィアの威力を最大限活用し自らの作品を宣伝するやり方は美術界に大きな影響をもた
らしたことだと思う。(応用美術、商業美術に飲み込まれたファインアートの衰退の始まり)
又、この大量消費時代に流されながらも日常を取り巻く雑多の中に自らの目で新たな
価値を見出す感性能力は非常に高かった。。 (退屈なエンパイヤービルの風景映像・
日々食べているインスタント食品の記号的デザイン、 時のスター達のグラビア写真、
飽きられ捨てられた雑誌や雑貨・すぐに忘れられる日々のニュースなど事象と映像の
記号化による美術品としての価値観の変換)
飛躍しすぎかもしれませんが、利休がそれまでは朝鮮の雑器でしかなかった高麗茶碗
に茶の湯の精神を注ぎ、信長や秀吉に高額で引き取らせるだけの目利きと第三者の
見方を変えさせるすごさを感じてしまうのですが、
(贅沢三昧の秀吉への戒めを込めた、時の財政基盤である堺集(経済界)の要望ではな
かったか)
ウォーホルに多少ダブらせて見てしまうのは私だけでしょうか?
・・・・・・・無心無作 もの是(これ)すべて仏なり・・・・・・・・

数日前までただの草むらと思っていたら、気がつくと直径2mくらいの
干草ロールになっていた。
育つ時はまっすぐに伸びて、牛達のお役にたつときは「まるく」なる。
隣のグランドでは幼稚園の運動会、黄色い声援が飛び交っている。
元気なお子達もまっすぐ成長して、「まるく」なって世のお役にたってほしいね。
散歩道
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日々の通勤路、川沿いの土手の雑草もいつの間にか生茂り、
風にゆられて右、左。
大木は人の手足だけでは倒れないけれど、
強風に倒される。
雑草は人の手足で折れるけれど、
強風では倒れない。
コンクリートやアスファルトの隙間からでも生えてくる。
風に揺られて 右、左
こんなにタフでたくましいのに、
風に揺られて 右、左。
散歩道
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