人間と他の動物の違いは
1、直立二足歩行すること
2、道具を作ること
3、火を使うこと
4、言葉をしゃべることとされている。
800〜500万年前の遥か昔、人類への進化を始めた類人猿。
1, 約340万年前のものと推定されるアファール猿人「ルーシー」と名づけられた成人女性の化石により、すでに二足歩行に適応していた。
2, 約250万年前になると人類の祖先といわれる(原人)ホモ、ハビリスが出現し礫石器が出現する。道具を作り始めたらしい。
(現在でも蟻塚に食事に向かう前に枝で道具を作ってから向かうチンパンジーもいるし、木の実を砕く為に石を使う猿もいる。)
3, 46万年〜23万年前には火を使っていたとされる、北京原人が発見される。
礫石器のチョッパーと剥片石器のスクレーパー(削器)、尖状器、彫器なども発掘された。
20万年前位になると(旧人)ネアンデルタール人(現世人類の亜種)が出現。
使用目的別に石器を使い分け、マンモスなどの大型の動物も狩ったし、火による調理も行っていた。病人を保護し、穴を掘って死者を埋葬する風習があり、埋葬跡からは多くの花粉が発見され、花々を送り、薬草をも使用していたことも分かった。
4, 長い間、体力的に勝るネアンデルタール人の陰になっていた我々人類の直接の祖先、(現生人類)ホモ・サピエンス・サピエンスが10〜20万年前くらいから現れる。
火を巧に使いこなすことで食物の調理が変化し、頑丈な顎の形状が変わり、喉仏が下がることで発声領域が広がり、言葉による伝達手段が格段に向上する。
ナイフ・かたな・槍先など多種の石器、彫刻した骨格器を作り、投槍・弓矢を発明し、落し穴や罠を仕掛け、熊・マンモス・馬・野牛の獣を集団で狩猟を行う。
しかし獲物を獲りすぎ、新たな獲物を求めてたえず移動しなければならなくなる。
3万数千年前には氷河期のヨーロッパへ進出し、先輩ネアンデルタール人の痕跡がここで消える。そして人類は、この地球の隅々までたどり着く。
人類の祖先が誕生したころは、まだ他の猛獣の餌食でしかなかったろうし、その猛獣達の食べ残しの死肉をあさり、夜は洞窟の奥に身を寄せ、脅えながら朝を迎えていたはずである。
数百万年という気の遠くなるほどの時を経てやっと3万数千年前、人間の同類に敵はいなくなった。
そして、1万5千年くらい前にスペインのアルタミラやフランスのラスコーに有名な洞窟壁画を描いた。祈りであるのか、記憶の記録なのか、未来を描いたのか、今まで見えなかった物事を見えるようにしたのだ。個々の呪術的装飾や装身具から集団の為の創造表現の始まりといっても良いのではないだろうか。
第4氷河期が終わり地球の気候は温暖化し始め9000年くらい前から農耕・牧畜への食料生産革命で食料備蓄とともに人口の異常な増殖が始まる。
1万年前の人口は約1000万人、農耕・牧畜が始まり紀元前後は3億人、産業革命期は約10億人、1996年は約58億人、2008年現在67億人、2050年には91億人になるという。
道具を作ることで進化し、火を使いこなすことで言葉という道具を得、新たな道具を作ることで進化したはずなのに、道具は取り返しのつかない武器にもなり、備蓄は略奪と支配の歴史をつくりだし、今は実態のない見えないマネーという道具に支配され、翻弄されている。
800万年前から人類へと進化を始めた類人猿が長い時間の中、出現しては消滅し環境に適応できた種だけによってつながり今が在る。
地球の環境変化の周期で氷河期が終わり温暖化し、その快適環境の一時のなかでのわずか3万年前からの歴史にすぎないのです。
生物はある程度の不自由と不完全性という環境では適応していけるらしいが(最適環境)、すべてが整った快適環境からの環境の変化には適応できずに消滅するのは過去の歴史が教えている。
人類は備蓄食料の現物交換経済から金銀貨幣経済へ次に紙幣そして電子マネーへ人口の増加とともに変化してきた。元々は腐り消失するものであった。
腐らず現物すらない実態の見えない電子マネーへとこちらも増殖してきたが、アメリカ発金融恐慌を引き起こしたのは、隈なく証券化に入り込んでいるサブプライムローンタイプの電子マネーを消滅させる新種のマネー・ウイルスに電子マネーが感染したようなものである。
世界同時感染の状況はあのアメリカ映画「インデペンデンス・デイ」に出てくる資源を食い尽くす為に地球にやってきたエイリアンそのものではないか。
地球人の独立宣言をするあの大統領をネアンデルタール人に置き換えてみると消滅してしまった旧人の叫びにも聞こえてしまうのです。
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余談
40年前の映画、スタンリー・キューブリック監督の名作「2001年宇宙の旅」の中で木星へ向かう宇宙船の船長が冬眠中のクルー3人のスケッチを描く、それを見たコンピューターHALLが船長に問いかける、「それはなにか?」と「クルーを描いたのさ」との答えにHALLは理解できない。
不完全なものを描くことが理解できないHALLは不完全なもの(人間)を排除しようとするが、逆にHALLの思考部分を停止されてしまう。
停止の操作中にHALLは言う・・・「怖い」、・・・ストップ、・・・「怖い」と繰り返す。
不完全であることに気づいた時「生」と「死」が見えてくる。
そんなことを考えさせられた映画でした。
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炎が作り出した命のかたち
5000年前の中期縄文土器、素朴でありながらも人を引き付ける魅力は一体何なのだろう。
豊かな実りとともに平和な生活が続きますようにとの願いを込めて、一つ一つの文様が刻まれてゆく。
生活に使われる為に作られながらも、文様に込められた作り手の想い、
美意識が野焼きの炎によって焼きしめられていく。
大切に使われることを願い。
日々の生活の中で家族同様に大切に使われてきたのだろ。

函館 大船遺跡 中期縄文土器
Corel Painter & Photoshop
←美術の匠達が住む村へどうぞ
1、直立二足歩行すること
2、道具を作ること
3、火を使うこと
4、言葉をしゃべることとされている。
800〜500万年前の遥か昔、人類への進化を始めた類人猿。
1, 約340万年前のものと推定されるアファール猿人「ルーシー」と名づけられた成人女性の化石により、すでに二足歩行に適応していた。
2, 約250万年前になると人類の祖先といわれる(原人)ホモ、ハビリスが出現し礫石器が出現する。道具を作り始めたらしい。
(現在でも蟻塚に食事に向かう前に枝で道具を作ってから向かうチンパンジーもいるし、木の実を砕く為に石を使う猿もいる。)
3, 46万年〜23万年前には火を使っていたとされる、北京原人が発見される。
礫石器のチョッパーと剥片石器のスクレーパー(削器)、尖状器、彫器なども発掘された。
20万年前位になると(旧人)ネアンデルタール人(現世人類の亜種)が出現。
使用目的別に石器を使い分け、マンモスなどの大型の動物も狩ったし、火による調理も行っていた。病人を保護し、穴を掘って死者を埋葬する風習があり、埋葬跡からは多くの花粉が発見され、花々を送り、薬草をも使用していたことも分かった。
4, 長い間、体力的に勝るネアンデルタール人の陰になっていた我々人類の直接の祖先、(現生人類)ホモ・サピエンス・サピエンスが10〜20万年前くらいから現れる。
火を巧に使いこなすことで食物の調理が変化し、頑丈な顎の形状が変わり、喉仏が下がることで発声領域が広がり、言葉による伝達手段が格段に向上する。
ナイフ・かたな・槍先など多種の石器、彫刻した骨格器を作り、投槍・弓矢を発明し、落し穴や罠を仕掛け、熊・マンモス・馬・野牛の獣を集団で狩猟を行う。
しかし獲物を獲りすぎ、新たな獲物を求めてたえず移動しなければならなくなる。
3万数千年前には氷河期のヨーロッパへ進出し、先輩ネアンデルタール人の痕跡がここで消える。そして人類は、この地球の隅々までたどり着く。
人類の祖先が誕生したころは、まだ他の猛獣の餌食でしかなかったろうし、その猛獣達の食べ残しの死肉をあさり、夜は洞窟の奥に身を寄せ、脅えながら朝を迎えていたはずである。
数百万年という気の遠くなるほどの時を経てやっと3万数千年前、人間の同類に敵はいなくなった。
そして、1万5千年くらい前にスペインのアルタミラやフランスのラスコーに有名な洞窟壁画を描いた。祈りであるのか、記憶の記録なのか、未来を描いたのか、今まで見えなかった物事を見えるようにしたのだ。個々の呪術的装飾や装身具から集団の為の創造表現の始まりといっても良いのではないだろうか。
第4氷河期が終わり地球の気候は温暖化し始め9000年くらい前から農耕・牧畜への食料生産革命で食料備蓄とともに人口の異常な増殖が始まる。
1万年前の人口は約1000万人、農耕・牧畜が始まり紀元前後は3億人、産業革命期は約10億人、1996年は約58億人、2008年現在67億人、2050年には91億人になるという。
道具を作ることで進化し、火を使いこなすことで言葉という道具を得、新たな道具を作ることで進化したはずなのに、道具は取り返しのつかない武器にもなり、備蓄は略奪と支配の歴史をつくりだし、今は実態のない見えないマネーという道具に支配され、翻弄されている。
800万年前から人類へと進化を始めた類人猿が長い時間の中、出現しては消滅し環境に適応できた種だけによってつながり今が在る。
地球の環境変化の周期で氷河期が終わり温暖化し、その快適環境の一時のなかでのわずか3万年前からの歴史にすぎないのです。
生物はある程度の不自由と不完全性という環境では適応していけるらしいが(最適環境)、すべてが整った快適環境からの環境の変化には適応できずに消滅するのは過去の歴史が教えている。
人類は備蓄食料の現物交換経済から金銀貨幣経済へ次に紙幣そして電子マネーへ人口の増加とともに変化してきた。元々は腐り消失するものであった。
腐らず現物すらない実態の見えない電子マネーへとこちらも増殖してきたが、アメリカ発金融恐慌を引き起こしたのは、隈なく証券化に入り込んでいるサブプライムローンタイプの電子マネーを消滅させる新種のマネー・ウイルスに電子マネーが感染したようなものである。
世界同時感染の状況はあのアメリカ映画「インデペンデンス・デイ」に出てくる資源を食い尽くす為に地球にやってきたエイリアンそのものではないか。
地球人の独立宣言をするあの大統領をネアンデルタール人に置き換えてみると消滅してしまった旧人の叫びにも聞こえてしまうのです。
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余談
40年前の映画、スタンリー・キューブリック監督の名作「2001年宇宙の旅」の中で木星へ向かう宇宙船の船長が冬眠中のクルー3人のスケッチを描く、それを見たコンピューターHALLが船長に問いかける、「それはなにか?」と「クルーを描いたのさ」との答えにHALLは理解できない。
不完全なものを描くことが理解できないHALLは不完全なもの(人間)を排除しようとするが、逆にHALLの思考部分を停止されてしまう。
停止の操作中にHALLは言う・・・「怖い」、・・・ストップ、・・・「怖い」と繰り返す。
不完全であることに気づいた時「生」と「死」が見えてくる。
そんなことを考えさせられた映画でした。
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炎が作り出した命のかたち
5000年前の中期縄文土器、素朴でありながらも人を引き付ける魅力は一体何なのだろう。
豊かな実りとともに平和な生活が続きますようにとの願いを込めて、一つ一つの文様が刻まれてゆく。
生活に使われる為に作られながらも、文様に込められた作り手の想い、
美意識が野焼きの炎によって焼きしめられていく。
大切に使われることを願い。
日々の生活の中で家族同様に大切に使われてきたのだろ。

函館 大船遺跡 中期縄文土器
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漆黒の闇から満天の星が地上を覆うように降り注いでくる。
そんな縄文時代の生活の中、どのような祈りを込めてこの土偶は作られたのでしょう。
土器や石器の実用的な道具から精神を具現化したこの中空土偶を見つめていると、文様の一つ一つに美的なセンスと息づかいが、3500年を経て伝わってくる。
本格的な焼き物の窯などまだなく、野焼きでありながら、黒の漆が添付されて当時の技術の高さを知ることが出来ます。
昭和50年8月、尾札部町の小阪アエさんが馬鈴薯畑で偶然土の中から発見し、なんだか解らないのでおばあちゃんに相談したところ、何かの仏様かも知れないので、お寺で供養したほうがいいって言うので届けようとしたが、娘さんが埴輪かも知れないので学校で調べてもらうということになり、教育委員会で調査したところ、縄文後期の大変貴重なものとわかり、状況は一変しました。
3500年の時を経て土の中から出てきた土偶がアエさんの心を響かせ、土に宿る縄文の魂は再びこの世に戻ってくることができたのです。
国宝・中空土偶(函館市著保内野遺跡)
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あきづ羽に秋の光が透け、
ねじれながらも張りつめた現実の上に
うっすらと影を置く。
自らの目に真珠の輝きにも似た光を放ち
どこまで遠くを見ているのだろう。
北斗市 匠の森 のとんぼ
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紀元前3000年位前につくられたらしい、アイルランドの巨大な石の建造物。
複数の立石に石の屋根をのせたドルメン・ストーンヘンジ、円状に並べられたストーン・サークルは、今も何か不思議な感じを漂わせています。この石の建造物を作った人々がどんな民族だったかはよく分かっていませんが、
後に、これらの地にやって来たケルト民族は、この巨石遺跡を前にして妖精の存在を感じ、妖精が住んでいると考えました。
ケルトにとっての異界は丘の中や西の海の彼方にあり、目に見えない美しい世界で、見えない人々が住んでいると考えられていました。これが妖精伝説となって今でも多くの物語が伝えられています。
ケルトの人々が信じていたドルイド教、この土着信仰は太陽神、土地・豊作の神を崇め、「自然は霊的な力を持つ」という考え方を持っていました。
またケルトの神話や伝説には、人間が動物に生まれ変わったり、神が英雄に、英雄が妖精と結婚したり、妖精が人間の子供を産んだりするなど、神、人間、妖精を転生します。つまり人間の生命と自然の生命とは密接な関係を持ち、大きな生命として、ぐるぐる回っていくのです
古代から、うずまきは偉大なる母親の象徴と考えられてきました。
うずまきには、生まれてくるという意味とそこに引き込まれて死ぬという二つの意味を持ち、まさに輪廻転生を象徴します。
日本の縄文土偶の女神にもうずまきが描かれているものが多く、世界中で守護神にはうずまきの文様が彫られています。
アイルランドやイギリスではお話の語り部が存在し 口承で伝えられてきた伝説や神話は、古代ケルトの人々の心の中のイメージを表します。
これらの物語を耳で「聴く」ことで、人々の五感をより刺激し、想像力をかきたて、ファンタジーが生まれたのです。
はなごよみ

花は季節を運び、
渡り鳥は異国の地に想いを馳せらせる。
風は雲とともに移ろう運命を運び、
地は変わらないものと,
変わりゆくものを
同じ時の上に置く
七飯大川より [オニユリとミゾゴイ(サギ科)]
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ルーカス・クラナッハ「エデンの園」。

世界で最初に生まれたメソポタミア文明。
紀元前3500年くらいには都市国家が成立し、シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きましたが統一国家ができることはありませんでした。
ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって争いを繰り返しています。
このグ・エディンが「エデンの園」のモデルと言われています。
片や「エデンの東」、メソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていたヘブライ人(ユダヤ人)も豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、なぜ自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたようです。
今は、豊かなエデンの園のシュメール人は存在しませんが
「エデンの園」の外、「エデンの東」の地で厳しい生活を強いられてきたヘブライ人(ユダヤ人)は数千年のときを経て今もなお存在しています。
なぜでしょう?
メソポタミアの実り豊かな「エデンの園」の争奪戦の繰り返しの中、敗れた民族は次から次と存在を消されていきます。
エデンの園に入れなかった遊牧民、ヘブライ人(ユダヤ人)にとっても危機的状況は同じでした、食料危機とともに存在危機を乗り越える為には、ひとつの理念を共有化することで一致結束しなければなりませんでした。
それは前13世紀 エジプトから脱出するヘブライ人たちのリーダー、モーセによって創られたとされています。
モーセはエジプトでヘブライ人の両親の元、誕生します。時のエジプト王の政策で増えすぎたヘブライ人を減らすということで、男の子は生まれるとすぐに殺されていた。しかし赤ん坊のモーセはカゴに入れられ密かに川に流されます、そしてエジプトの王女に拾われ王宮で成長し、乳母によって自分がヘブライ人であることを知り同胞のヘブライ人を迫害するエジプト人をみて殺害してしまう。モーセは、エジプトにいる奴隷のヘブライ人を引き連れてカナンへと逃亡する。
その途中、シナイ山で神からのお告げを受け十戒を受け取ったとされます。
神「ヤハウェ」が名を告げ、モーゼに聞けという、
わたしのほかに神があってはならない。
他の神を信じてはいけないと、十個の命令(戒律)を言い渡す。
神の名を言いふらしてはならない。神を造形物にしてはいけない。
人を殺してはいけない等、倫理を(モーセはすでに人を殺害していたにもかかわらず)、神との契約書として石に刻みモーゼに渡す。(神を造形してはならないはずなのだが)
ヘブライ人だけの神、一神教の誕生です。
モーセは天幕と十戒が刻まれた石板と共に移動生活をつづけ点在するユダヤの民を結束させていきます。
前10世紀に自分たちの国、ヘブライ王国を建設しますがアッシリアと新バビロニア王国に征服されてしまいます。(バビロン捕囚)又奴隷生活です。
何故、我々ヘブライ人はこんな目にあうのか、まじめに信仰と戒律を守っていないからヘブライの神は試練を与えるのだと考えた。
新バビロニアが滅んで、かれらは故郷の地に帰ることが許され、帰った人々は神殿を建設し、宗教指導者のもとで生活をするようになります。
これをもって、ユダヤ教が成立します。
ユダヤ人はのちのローマ帝国時代に国を失いますが、ユダヤ民族は存在しつづけています。
死と滅亡が迫る中で誕生したユダヤの神を信じることとは、一体どのようなものなのでしょう。
ユダヤ人だけの「神との契約」----
ヘブライ人は神からその神の名を教えてもらい、神から選ばれた唯一の民で、最後の審判の日にはヘブライ人のみが救われるという。
神は自分たちを選んでいるからわざわざ試練を与えてくれている。
他の民族は神から選ばれていないから試練すら与えられていないのだ、という選民思想は個人的な欲望を捨てさせ絶対的民族意識による団結力を生み出しました。
神と人の約束をめぐる物語、旧約聖書の中に教義として集積していきます。
元ねたの殆どはメソポタミヤ文明時代のものです。
「エデンの園」のことは最初に書きましたね。
・ノアの箱舟の話も、『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、旧約聖書が成立する1000年以上前に、その元の話があったことがわかった。
実際にシュメール人の遺跡発掘がすすんでいくと、シュメール人の都市国家がティグリス・ユーフラテス河の大きな洪水にみまわれていることもわかってきた。
・バベルの塔の話もそうです。
人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神が、この塔を打ち壊す。神は塔を壊し、人々はちりぢりになり、お互いに話す言葉が通じなくなった。シュメール人たちが建設した神殿にジッグラトというものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡はたくさん残っています。これがバベルの塔のモデルといわれています
(余談----ギルガメシュ叙事詩にある森林破壊の話は映画「もののけ姫」になりました)
・十戒の石板はシュメール時代からこの地方におこなわれてきた法律「ハンムラビ法典」を彷彿させます。
・最後の審判の話はアケメネス朝の二神教ゾロアスター教からの転用ですね。
一つが光の神、光明神アフラ=マズダ。対立するのが闇の神、暗黒神アーリマン。それぞれ天使の軍隊と悪魔の軍隊を率いて戦い最後には光の神アフラ=マズダが勝つ。アフラ=マズダの勝利のあとで救世主が現れて、救世主はそれまでこの世に生をうけて死んでいった人々をすべてよみがえらせる。そして、復活した人々を善悪に振り分け、天国行きと地獄行きに選別するという。
ユダヤの一神教に神と対峙する悪魔が出てくるのもゾロアスター教の影響(転用)といわれています。
(マツダ自動車という会社のロゴ「MAZDA」マズダは光の神とダブらせるあたり、センスが光ります。)
・ユダヤのキリストの母マリアは相手が誰かわからないが妊娠してしまう、ヨセフはそれを承知でマリアと結婚しキリストを生みます。
私生児を許さない、掟(戒律)の厳しいユダヤ教徒の中でキリストは生まれ、父ヨセフの子とは言われず母マリアの子と侮蔑され成長します。
戒律をはみだした生まれ方をした「不義の子」イエスは、最も貧しく虐げられ、絶望の中で生きていかざるを得ない人々の側にたって、階級、貧富の差をこえた神の愛を説いていきます。
身分が卑しくても、貧乏でも、戒律を守れなくても神は愛し救ってくれると。
ユダヤ人でありながら新興宗教の布教をはじめます。
ユダヤ教のヤハウェの神は厳しい怒りの神です。アダムとイヴが知恵の実を食べたら、楽園追放で、ノア以外の人類は洪水で皆殺し、バベルの塔も破壊して人類を四方に飛ばして言葉を乱した。怒って罰を与える怖い神です。
イエスはユダヤ教を怒りの神から愛の神へ変えようとします。
さらには圧制のローマ帝国からの独立を期待する人々の救世主願望と重ねられてしまう。
戒律を守り続けてきたユダヤ教への批判をし、ローマ帝国にとっても都合が悪い存在でしかなかったイエスを捕らえて処刑させてしまう。
ユダヤ教は長く続いた死と滅亡の恐怖の時代の中で嫉妬と葛藤を底流に誕生しました。
ユダヤの民はメソポタミアの豊かな食料のある「エデンの園」に入れなかったが、時を経てロックフェラーが「石油という資源のエデンの園」を独占します。
神との契約という御旗の下、存続の為には敵対する相手の死は許される行為のようです。
ユダヤ教から分離したイスラム教の過激派・原理主義者がまさにこの通りのことを聖戦として、今も行っています。
今の日本は発展途上国からすれば「エデンの園」の国かもしれません。
アメリカの植民地的後ろ盾があってのことですが、それが弱まれば、次は中国、ロシアが欲する「技術の豊富なエデンの園」日本を欲していることだけは確かです。
日本が日本として存続していく為には、日本の為の戒律(憲法)を日本人によって作り直さなければなりません。滅びる前にです。
←美術の匠達が住む村へどうぞ

世界で最初に生まれたメソポタミア文明。
紀元前3500年くらいには都市国家が成立し、シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きましたが統一国家ができることはありませんでした。
ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって争いを繰り返しています。
このグ・エディンが「エデンの園」のモデルと言われています。
片や「エデンの東」、メソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていたヘブライ人(ユダヤ人)も豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、なぜ自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたようです。
今は、豊かなエデンの園のシュメール人は存在しませんが
「エデンの園」の外、「エデンの東」の地で厳しい生活を強いられてきたヘブライ人(ユダヤ人)は数千年のときを経て今もなお存在しています。
なぜでしょう?
メソポタミアの実り豊かな「エデンの園」の争奪戦の繰り返しの中、敗れた民族は次から次と存在を消されていきます。
エデンの園に入れなかった遊牧民、ヘブライ人(ユダヤ人)にとっても危機的状況は同じでした、食料危機とともに存在危機を乗り越える為には、ひとつの理念を共有化することで一致結束しなければなりませんでした。
それは前13世紀 エジプトから脱出するヘブライ人たちのリーダー、モーセによって創られたとされています。
モーセはエジプトでヘブライ人の両親の元、誕生します。時のエジプト王の政策で増えすぎたヘブライ人を減らすということで、男の子は生まれるとすぐに殺されていた。しかし赤ん坊のモーセはカゴに入れられ密かに川に流されます、そしてエジプトの王女に拾われ王宮で成長し、乳母によって自分がヘブライ人であることを知り同胞のヘブライ人を迫害するエジプト人をみて殺害してしまう。モーセは、エジプトにいる奴隷のヘブライ人を引き連れてカナンへと逃亡する。
その途中、シナイ山で神からのお告げを受け十戒を受け取ったとされます。
神「ヤハウェ」が名を告げ、モーゼに聞けという、
わたしのほかに神があってはならない。
他の神を信じてはいけないと、十個の命令(戒律)を言い渡す。
神の名を言いふらしてはならない。神を造形物にしてはいけない。
人を殺してはいけない等、倫理を(モーセはすでに人を殺害していたにもかかわらず)、神との契約書として石に刻みモーゼに渡す。(神を造形してはならないはずなのだが)
ヘブライ人だけの神、一神教の誕生です。
モーセは天幕と十戒が刻まれた石板と共に移動生活をつづけ点在するユダヤの民を結束させていきます。
前10世紀に自分たちの国、ヘブライ王国を建設しますがアッシリアと新バビロニア王国に征服されてしまいます。(バビロン捕囚)又奴隷生活です。
何故、我々ヘブライ人はこんな目にあうのか、まじめに信仰と戒律を守っていないからヘブライの神は試練を与えるのだと考えた。
新バビロニアが滅んで、かれらは故郷の地に帰ることが許され、帰った人々は神殿を建設し、宗教指導者のもとで生活をするようになります。
これをもって、ユダヤ教が成立します。
ユダヤ人はのちのローマ帝国時代に国を失いますが、ユダヤ民族は存在しつづけています。
死と滅亡が迫る中で誕生したユダヤの神を信じることとは、一体どのようなものなのでしょう。
ユダヤ人だけの「神との契約」----
ヘブライ人は神からその神の名を教えてもらい、神から選ばれた唯一の民で、最後の審判の日にはヘブライ人のみが救われるという。
神は自分たちを選んでいるからわざわざ試練を与えてくれている。
他の民族は神から選ばれていないから試練すら与えられていないのだ、という選民思想は個人的な欲望を捨てさせ絶対的民族意識による団結力を生み出しました。
神と人の約束をめぐる物語、旧約聖書の中に教義として集積していきます。
元ねたの殆どはメソポタミヤ文明時代のものです。
「エデンの園」のことは最初に書きましたね。
・ノアの箱舟の話も、『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、旧約聖書が成立する1000年以上前に、その元の話があったことがわかった。
実際にシュメール人の遺跡発掘がすすんでいくと、シュメール人の都市国家がティグリス・ユーフラテス河の大きな洪水にみまわれていることもわかってきた。
・バベルの塔の話もそうです。
人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神が、この塔を打ち壊す。神は塔を壊し、人々はちりぢりになり、お互いに話す言葉が通じなくなった。シュメール人たちが建設した神殿にジッグラトというものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡はたくさん残っています。これがバベルの塔のモデルといわれています
(余談----ギルガメシュ叙事詩にある森林破壊の話は映画「もののけ姫」になりました)
・十戒の石板はシュメール時代からこの地方におこなわれてきた法律「ハンムラビ法典」を彷彿させます。
・最後の審判の話はアケメネス朝の二神教ゾロアスター教からの転用ですね。
一つが光の神、光明神アフラ=マズダ。対立するのが闇の神、暗黒神アーリマン。それぞれ天使の軍隊と悪魔の軍隊を率いて戦い最後には光の神アフラ=マズダが勝つ。アフラ=マズダの勝利のあとで救世主が現れて、救世主はそれまでこの世に生をうけて死んでいった人々をすべてよみがえらせる。そして、復活した人々を善悪に振り分け、天国行きと地獄行きに選別するという。
ユダヤの一神教に神と対峙する悪魔が出てくるのもゾロアスター教の影響(転用)といわれています。
(マツダ自動車という会社のロゴ「MAZDA」マズダは光の神とダブらせるあたり、センスが光ります。)
・ユダヤのキリストの母マリアは相手が誰かわからないが妊娠してしまう、ヨセフはそれを承知でマリアと結婚しキリストを生みます。
私生児を許さない、掟(戒律)の厳しいユダヤ教徒の中でキリストは生まれ、父ヨセフの子とは言われず母マリアの子と侮蔑され成長します。
戒律をはみだした生まれ方をした「不義の子」イエスは、最も貧しく虐げられ、絶望の中で生きていかざるを得ない人々の側にたって、階級、貧富の差をこえた神の愛を説いていきます。
身分が卑しくても、貧乏でも、戒律を守れなくても神は愛し救ってくれると。
ユダヤ人でありながら新興宗教の布教をはじめます。
ユダヤ教のヤハウェの神は厳しい怒りの神です。アダムとイヴが知恵の実を食べたら、楽園追放で、ノア以外の人類は洪水で皆殺し、バベルの塔も破壊して人類を四方に飛ばして言葉を乱した。怒って罰を与える怖い神です。
イエスはユダヤ教を怒りの神から愛の神へ変えようとします。
さらには圧制のローマ帝国からの独立を期待する人々の救世主願望と重ねられてしまう。
戒律を守り続けてきたユダヤ教への批判をし、ローマ帝国にとっても都合が悪い存在でしかなかったイエスを捕らえて処刑させてしまう。
ユダヤ教は長く続いた死と滅亡の恐怖の時代の中で嫉妬と葛藤を底流に誕生しました。
ユダヤの民はメソポタミアの豊かな食料のある「エデンの園」に入れなかったが、時を経てロックフェラーが「石油という資源のエデンの園」を独占します。
神との契約という御旗の下、存続の為には敵対する相手の死は許される行為のようです。
ユダヤ教から分離したイスラム教の過激派・原理主義者がまさにこの通りのことを聖戦として、今も行っています。
今の日本は発展途上国からすれば「エデンの園」の国かもしれません。
アメリカの植民地的後ろ盾があってのことですが、それが弱まれば、次は中国、ロシアが欲する「技術の豊富なエデンの園」日本を欲していることだけは確かです。
日本が日本として存続していく為には、日本の為の戒律(憲法)を日本人によって作り直さなければなりません。滅びる前にです。

絵画の概念は科学技術によって解体された!
記憶と記録の関係を振り返れば、2万年前に描かれたラスコーの壁画は記憶の絵画といっても良いでしょう。当然スケッチブックもカメラも無いのですから記憶のみを頼りに描いたに違いありません。
当時は記憶を描くことは自然という神との交信を伝えることでもあったように思います。
やがて農耕と牧畜が発生し余剰生産物が生まれ、「食料生産革命」による文明の誕生で人類の大革命が始まり、個人所有と租税管理の為に文字が生まれ絵と文字による記録が誕生します。
さらに時代が進み、宗教と政治の支配下、まだ特権階級以外に文字の普及のなされていない時代にはビジュアルでの記録が主流で、宗教の布教に欠かせないのが絵画でした。
神話(記憶)や瞑想の世界を事実であるがごとく、実在する物事を織り交ぜながら写実的リアルさを追求してきました。
記憶(潜在)を記録(顕在)すること、又、逆の記録を記憶することも宗教的世界観では等しいもののようです。
それから長く暗黒の宗教支配の時代が続きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19世紀、新たな光が差し込む時代、科学による「産業革命」が始まり、写真の登場によってそれまでの絵画も変化の波をまともにうけてしまいます。
写真映像の再現性は信憑性において古典絵画を圧倒しました。
カメラは見えるものの光景一切を記録する、対峙する絵画は自らの目に映る対象の何が見え、何を見ないかという概念像の選別をへて描かれてしまいます。
古典画家の積み重ねてきたノウハウが写真によって無意味化されようとした脅威の時代、さらに写真は絵画の技法をも取り込み芸術写真へと進化します。
さらにチューブ入り絵の具の出現で、一般の人々でも描けるようになり、職業画家への絵画への発注依頼が激減します。
職業画家はそれらに対抗するべく受注作品から、区別化された個の主張する企画品を製作し市場を開拓しなければならなくなります。
生き残りをかけた絵画は、よりレベルの高い概念像を求めようとする動きと、視覚そのものを問う動きによって活路を求め始めたのです。それはアカデミーへの挑戦でもありました。
クールベは写真映像のリアリティを取り込んで古典絵画の再構築に挑みます。しかし、堅苦しく、ぎこちない古典絵画の古さをよりあらわにしてしまいました。
マネは映像的なコントラストの強弱によって静物画のように即物的に人物を描くのですが、しかし写真の瞬時の特性を超えられなかった。
モネに始まる印象派は、光学理論を取り入れた色彩表現で映像(テクノロジー)に対抗するリアリティを得ようとこころみます。(科学技術によりカラー写真の完成した時代)
光、色彩の瞬時をとらえようと、実像と虚像の入り混じった水辺の揺らぎにそれを求めたのです。しかし移り変わる光はマネと同様に写真の瞬時を乗り越えられなかった。
セザンヌはタッチによる時間の運動性を積み重ねによることで対象の形態を浮かびあがらせるというものです。再現性から造形へ、映像化からの離脱へと向かいます。
(写真でいうブレ、ボケの重ねに近いかもしれません。)
時の科学は連続する写真、映画を誕生させました。
ピカソの連続する面の運動、キュービズムの登場ですが絵画のリアリティが失われたとの認識によってキュービズム運動も行き止まり、ピカソは再び近代絵画へと戻ります。
デュシャンの登場で「絵画は事象の再現にとらわれた網膜的表現」として批判することで絵画の概念の解体が始まります。「ものとしての作品よりも新たな考え方、思想をこそ作るべき」と絵画はキャンバスから抜け出しました。
以後アメリカにおける現代美術の誕生に続き、マスメディアにのりながらさまざまなアートが大量に創出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・河瀬 昇 氏のHP「近代芸術の抵抗」より抜粋http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/03kindai/kindai_index.htm
21世紀現在はコンピューターとインターネットによる「情報革命」、19世紀の産業革命以上の大革命と言われています。
記憶(潜在)を記録(顕在)し伝達する為の時間の単位が、空間の広がりが、過去とは圧倒的に違うからです。
産業革命によって近代絵画が出現する以前の中世の時代、工房が受注生産で教会などの絵を描きました。
時代を経て依頼者は変わりましたが、現在の商業美術、映画や広告美術界ではパソコンによる制作とインターネット情報がなければ産業として成り立たない社会になり、そのスピードと量は比べ物にならないほどの違いです。
記録がCMY(色料の3原色)からRGB(光の3原色)主体への大きな転換です。テレビ、携帯電話、パソコンのディスプレイ、映画、ビルボードのオーロラビジョン、電工掲示板、照明などなど身の回りのいたるところにあります。記録情報の洪水です。
それは、「絵画の第2の定義」キャンバスなどの支持体に顔料(CMYK)を定着させて描くことが美術の中で工芸品カテゴリーに含まれてしまう感じすらします。
新しい発想も新鮮な表現も瞬時にネットにのり、商業ビジネス界に飲み込まれ、瞬く間に古くなります。
しかし、古典絵画の作家達が教会や王侯貴族からの受注制作でありながら、芳醇な時間をかけて制作された古き絵画の中に、又、写真と戦った近代絵画の作品の中に、今も人を惹きつづけるもの、それは、技術的なことの前に、制作者の記憶に潜在する秘められた世界観が醸し出す魂なのかもしれません。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれている絵画の定義を要約すると、
「絵画の誕生は、およそ2万年前のラスコー洞窟の壁画からとされている。
しかし、芸術の一分野としての絵画の概念が産まれるのはルネサンス以降のヨーロッパ
においてである。
その絵画の第1の定義は「キャンバスに油彩を施したもの」
であるが、油彩画の初期には板絵があり、油彩以前にはテンペラ画もあった。古くは壁に
直接描いていたものである。
そういった古いものも絵画として認識するためには、
第2の定義、「キャンバスや板、壁など何らかの支持体の上に、絵具、すなわち顔料とそれ
を分散させ支持体に定着させるためのメディウムを混ぜたものを筆などにより塗布、定着さ
せて描く手法およびその作品」となり。
現代においては 新しい絵画素材や表現手法が出て、岩絵具を使って描かれた日本画、ア
クリルやガッシュ、水彩も絵画に含まれる。
パステルや色鉛筆で描くのは「ドローイング」として絵画とは区別されているようである。
絵付けされた壺や絵皿・染色・象嵌、螺鈿などは工芸に分類される応用芸術であり、紙の
上に鉛筆や木炭、コンテなどで描かれた素描(スケッチ、デッサン)は下絵で、これらは絵
画ではない。
東洋美術には書画があるが、書は絵画ではない。浮世絵が版画に分類され、絵巻物や
図屏風、壁画がはたして絵画に相当するのか又、切り絵や貼り絵、コラージュ写真、はど
うか議論のあるところ。
現代美術においては、絵画の代わりに、「平面作品」と言葉が変わっただけで曖昧でしか
ない。
純粋芸術の絵画と、応用芸術である挿絵やイラストレーションは別のものとされてきたが
1970年半になるとモダニズムは力を失い、純粋芸術が他と区別されるものは何なのか、
現在その違いを語ることは非常に難しくなってきている。
第3の定義として「壁に設置されて観賞できる芸術作品」とも言えるが、これはすでに「絵
画」とは別の概念かもしれない。」・・・・・・・とあります。
上記を総括すると、
絵画=支持体の上に顔料を定着させて描く手法の作品でイラストなどの応用芸術作品も
含む純粋芸術作品ということになるらしい?
芸術作品かどうかは別として、第2の定義で制作された作品が一般的に絵画であるとい
う共通認識になっているようです。
グラフィックソフトやペンタブレットなどを用いてパソコンで制作された絵は顔料プリンター
で紙などの支持体にプリントされてはじめて版画として分類されるらしい。
とすれば、モニターに写し出されたプリント前のデジタルデーターは絵画でもなく、ドロー
イングでもなく、工芸品でもないらしい。
プリントもされずにブログ用に解像度を落とした画像がネットの中を漂流し、モニターの中
を移ろう光の3原色であろうとも、魂を写し出すことに変わりがないはず。
絵画とは元々魂を写し出す為のものではなかったのでしょうか。
「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」とは映画監督の巨匠 黒澤明の名言ですが、
魂が現れるのはキャンバスなどの支持体の上だけではないようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がパソコンで絵を描くきっかけを作っていただいた休日画廊さんのHPをご紹介します
ぜひお立ち寄りください。
--------心の休日を求める方へ 「休日画廊」---------
http://holidaysgallery.jpn.org/home/index.html#gallery
心休まる風景や静物をペンタブレットとパソコンで描かれています。
←美術の匠達が住む村へどうぞ
「絵画の誕生は、およそ2万年前のラスコー洞窟の壁画からとされている。
しかし、芸術の一分野としての絵画の概念が産まれるのはルネサンス以降のヨーロッパ
においてである。
その絵画の第1の定義は「キャンバスに油彩を施したもの」
であるが、油彩画の初期には板絵があり、油彩以前にはテンペラ画もあった。古くは壁に
直接描いていたものである。
そういった古いものも絵画として認識するためには、
第2の定義、「キャンバスや板、壁など何らかの支持体の上に、絵具、すなわち顔料とそれ
を分散させ支持体に定着させるためのメディウムを混ぜたものを筆などにより塗布、定着さ
せて描く手法およびその作品」となり。
現代においては 新しい絵画素材や表現手法が出て、岩絵具を使って描かれた日本画、ア
クリルやガッシュ、水彩も絵画に含まれる。
パステルや色鉛筆で描くのは「ドローイング」として絵画とは区別されているようである。
絵付けされた壺や絵皿・染色・象嵌、螺鈿などは工芸に分類される応用芸術であり、紙の
上に鉛筆や木炭、コンテなどで描かれた素描(スケッチ、デッサン)は下絵で、これらは絵
画ではない。
東洋美術には書画があるが、書は絵画ではない。浮世絵が版画に分類され、絵巻物や
図屏風、壁画がはたして絵画に相当するのか又、切り絵や貼り絵、コラージュ写真、はど
うか議論のあるところ。
現代美術においては、絵画の代わりに、「平面作品」と言葉が変わっただけで曖昧でしか
ない。
純粋芸術の絵画と、応用芸術である挿絵やイラストレーションは別のものとされてきたが
1970年半になるとモダニズムは力を失い、純粋芸術が他と区別されるものは何なのか、
現在その違いを語ることは非常に難しくなってきている。
第3の定義として「壁に設置されて観賞できる芸術作品」とも言えるが、これはすでに「絵
画」とは別の概念かもしれない。」・・・・・・・とあります。
上記を総括すると、
絵画=支持体の上に顔料を定着させて描く手法の作品でイラストなどの応用芸術作品も
含む純粋芸術作品ということになるらしい?
芸術作品かどうかは別として、第2の定義で制作された作品が一般的に絵画であるとい
う共通認識になっているようです。
グラフィックソフトやペンタブレットなどを用いてパソコンで制作された絵は顔料プリンター
で紙などの支持体にプリントされてはじめて版画として分類されるらしい。
とすれば、モニターに写し出されたプリント前のデジタルデーターは絵画でもなく、ドロー
イングでもなく、工芸品でもないらしい。
プリントもされずにブログ用に解像度を落とした画像がネットの中を漂流し、モニターの中
を移ろう光の3原色であろうとも、魂を写し出すことに変わりがないはず。
絵画とは元々魂を写し出す為のものではなかったのでしょうか。
「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」とは映画監督の巨匠 黒澤明の名言ですが、
魂が現れるのはキャンバスなどの支持体の上だけではないようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がパソコンで絵を描くきっかけを作っていただいた休日画廊さんのHPをご紹介します
ぜひお立ち寄りください。
--------心の休日を求める方へ 「休日画廊」---------
http://holidaysgallery.jpn.org/home/index.html#gallery
心休まる風景や静物をペンタブレットとパソコンで描かれています。
第二次世界大戦勝利、東西冷戦勝利、石油の錬金術と、軍需産業による錬金術で、
大量生産、大量消費、大量の二酸化炭素排出で栄華を極めたアメリカ。
サブプライム処理でつまずくアメリカから逃げ出すドル投機マネー、今はすっかりた
そがれ時の感がある。
アメリカ現代美術の先駆者達の作品もアカデミックの殿堂入り。オークションでは新鮮
味の無い商品になりこちらもたそがれ時。
変わってアジア新興国のニューリッチと画商、サザビーズオークションの思惑が一致し
アジア産、新具象の新商品展開機運、売れているそうです。(日本のもではオタクフィ
ギュア関連だけとか)
歴史を振り返れば、宗教画は教会がスポンサー、王侯貴族がスポンサーの権威象徴
絵画, 産業革命時の富豪のポートレート、 これら広告メディアとしての機能を写真の発
明に追われつつ、チューブ入り絵の具の出現で職業画家以外の誰でも描ける時代へ。
区別化差別化の必要性をせまられ芸術と言う名でヨーロッパ近代絵画が出現。
もちろん画商と評論家の力が購買力を高めたのは事実。
話は又アメリカに戻り、現代美術(もはや現代とは言わないかも?)の
アンディ・ウォーホルは「私は機械になりたい」と言い、工房ではなくファクトリー(工場)
で製作されたスクリーン版画にサインを入れ作品(商品)としたけれど、自ら関与なしで
スタッフが製作したものであっても本人が「良し」と思うものにはサインをしてウォーホル
の作品となっているものもあると言う。
本人にとってはキャンベルスープと同じ工場生産の商品なのです。
しかし、ウォーホルの功績は広告メディアとしての絵画の歴史を逆手に取り、マス・メデ
ィアの威力を最大限活用し自らの作品を宣伝するやり方は美術界に大きな影響をもた
らしたことだと思う。(応用美術、商業美術に飲み込まれたファインアートの衰退の始まり)
又、この大量消費時代に流されながらも日常を取り巻く雑多の中に自らの目で新たな
価値を見出す感性能力は非常に高かった。。 (退屈なエンパイヤービルの風景映像・
日々食べているインスタント食品の記号的デザイン、 時のスター達のグラビア写真、
飽きられ捨てられた雑誌や雑貨・すぐに忘れられる日々のニュースなど事象と映像の
記号化による美術品としての価値観の変換)
飛躍しすぎかもしれませんが、利休がそれまでは朝鮮の雑器でしかなかった高麗茶碗
に茶の湯の精神を注ぎ、信長や秀吉に高額で引き取らせるだけの目利きと第三者の
見方を変えさせるすごさを感じてしまうのですが、
(贅沢三昧の秀吉への戒めを込めた、時の財政基盤である堺集(経済界)の要望ではな
かったか)
ウォーホルに多少ダブらせて見てしまうのは私だけでしょうか?
・・・・・・・無心無作 もの是(これ)すべて仏なり・・・・・・・・
←美術の匠達が住む村へどうぞ
大量生産、大量消費、大量の二酸化炭素排出で栄華を極めたアメリカ。
サブプライム処理でつまずくアメリカから逃げ出すドル投機マネー、今はすっかりた
そがれ時の感がある。
アメリカ現代美術の先駆者達の作品もアカデミックの殿堂入り。オークションでは新鮮
味の無い商品になりこちらもたそがれ時。
変わってアジア新興国のニューリッチと画商、サザビーズオークションの思惑が一致し
アジア産、新具象の新商品展開機運、売れているそうです。(日本のもではオタクフィ
ギュア関連だけとか)
歴史を振り返れば、宗教画は教会がスポンサー、王侯貴族がスポンサーの権威象徴
絵画, 産業革命時の富豪のポートレート、 これら広告メディアとしての機能を写真の発
明に追われつつ、チューブ入り絵の具の出現で職業画家以外の誰でも描ける時代へ。
区別化差別化の必要性をせまられ芸術と言う名でヨーロッパ近代絵画が出現。
もちろん画商と評論家の力が購買力を高めたのは事実。
話は又アメリカに戻り、現代美術(もはや現代とは言わないかも?)の
アンディ・ウォーホルは「私は機械になりたい」と言い、工房ではなくファクトリー(工場)
で製作されたスクリーン版画にサインを入れ作品(商品)としたけれど、自ら関与なしで
スタッフが製作したものであっても本人が「良し」と思うものにはサインをしてウォーホル
の作品となっているものもあると言う。
本人にとってはキャンベルスープと同じ工場生産の商品なのです。
しかし、ウォーホルの功績は広告メディアとしての絵画の歴史を逆手に取り、マス・メデ
ィアの威力を最大限活用し自らの作品を宣伝するやり方は美術界に大きな影響をもた
らしたことだと思う。(応用美術、商業美術に飲み込まれたファインアートの衰退の始まり)
又、この大量消費時代に流されながらも日常を取り巻く雑多の中に自らの目で新たな
価値を見出す感性能力は非常に高かった。。 (退屈なエンパイヤービルの風景映像・
日々食べているインスタント食品の記号的デザイン、 時のスター達のグラビア写真、
飽きられ捨てられた雑誌や雑貨・すぐに忘れられる日々のニュースなど事象と映像の
記号化による美術品としての価値観の変換)
飛躍しすぎかもしれませんが、利休がそれまでは朝鮮の雑器でしかなかった高麗茶碗
に茶の湯の精神を注ぎ、信長や秀吉に高額で引き取らせるだけの目利きと第三者の
見方を変えさせるすごさを感じてしまうのですが、
(贅沢三昧の秀吉への戒めを込めた、時の財政基盤である堺集(経済界)の要望ではな
かったか)
ウォーホルに多少ダブらせて見てしまうのは私だけでしょうか?
・・・・・・・無心無作 もの是(これ)すべて仏なり・・・・・・・・
国家戦略で誕生したアメリカ現代美術と
ジャクソン・ポロックの悲劇

1947 「錬金術」ジャクソン・ポロック
第二次世界大戦前までは、アメリカはヨーロッパの伝統や流行を一方的に
受け取る側でしかなかったが,1940年代前半には、第二次世界大戦の戦火
を避けて、ヨーロッパから美術家、音楽家、建築家、デザイナーらあらゆる種
類の前衛芸術家がニューヨークに亡命して来た。
大戦後の1950年代前半ソビエトとの東西冷戦下、アメリカには「思想の自由」
と「表現の自由」があり、政治・軍事・経済だけでなく文化面でも大きな成果を
成し遂げたという証明に、芸術の自由さと斬新さ、先端性をアピールすることで、
アメリカの影響を高めようとした。
美術では抽象表現主義と理論が、思想戦・情報戦の武器としてCIAの、政治力
の側面支援を受け利用された。
CIAがアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」を通
じて1950年から1967年までの間、 展覧会や美術批評活動に対し資金面や組
織面で協力したという。
評論家ローゼンバーグの美術理論によりアクションペインティングの旗手として、
ヨーロッパから亡命した先輩作家らと小規模に活動していた抽象表現主義の
ジャクソン・ポロックに白羽の矢があたったのだ。
アメリカ大陸の先住民の大地の上に描かれるインディアンの砂絵のようにヨーロ
ッパの借り物でない「アメリカ人作家による、 アメリカの美術」として一躍美術界
のスターになっていくのです。
以後ニューヨーク美術界、美術館・画廊・名家・財閥・成金たちがアメリカの抽象
表現主義に殺到するようになった。
あるものは財力誇示の為、跳ね上がる投機買いにと。
抽象芸術との純粋な葛藤とともに生きてきたポロックにはどうだったのだろう?
認められたことと、作り上げられ固定化されたポロック像との狭間でそれが
「思想の自由」「表現の自由」と言う名で、全てはアメリカが世界で一番という
国家戦略に基づくものとは知るよしも無かったろうと思う。
自らを見失ったポロックがアルコール依存症を悪化させ愛人とともに猛スピードで
道路を飛ばし木に激突、死亡する。
そして次の自由の象徴アメリカ製「ポップアート」とつながっていく。
自由と言う名で国家戦略にコントロールされるのはいつも若者と大衆なのだ。
←美術の匠達が住む村へどうぞ
ジャクソン・ポロックの悲劇

1947 「錬金術」ジャクソン・ポロック
第二次世界大戦前までは、アメリカはヨーロッパの伝統や流行を一方的に
受け取る側でしかなかったが,1940年代前半には、第二次世界大戦の戦火
を避けて、ヨーロッパから美術家、音楽家、建築家、デザイナーらあらゆる種
類の前衛芸術家がニューヨークに亡命して来た。
大戦後の1950年代前半ソビエトとの東西冷戦下、アメリカには「思想の自由」
と「表現の自由」があり、政治・軍事・経済だけでなく文化面でも大きな成果を
成し遂げたという証明に、芸術の自由さと斬新さ、先端性をアピールすることで、
アメリカの影響を高めようとした。
美術では抽象表現主義と理論が、思想戦・情報戦の武器としてCIAの、政治力
の側面支援を受け利用された。
CIAがアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」を通
じて1950年から1967年までの間、 展覧会や美術批評活動に対し資金面や組
織面で協力したという。
評論家ローゼンバーグの美術理論によりアクションペインティングの旗手として、
ヨーロッパから亡命した先輩作家らと小規模に活動していた抽象表現主義の
ジャクソン・ポロックに白羽の矢があたったのだ。
アメリカ大陸の先住民の大地の上に描かれるインディアンの砂絵のようにヨーロ
ッパの借り物でない「アメリカ人作家による、 アメリカの美術」として一躍美術界
のスターになっていくのです。
以後ニューヨーク美術界、美術館・画廊・名家・財閥・成金たちがアメリカの抽象
表現主義に殺到するようになった。
あるものは財力誇示の為、跳ね上がる投機買いにと。
抽象芸術との純粋な葛藤とともに生きてきたポロックにはどうだったのだろう?
認められたことと、作り上げられ固定化されたポロック像との狭間でそれが
「思想の自由」「表現の自由」と言う名で、全てはアメリカが世界で一番という
国家戦略に基づくものとは知るよしも無かったろうと思う。
自らを見失ったポロックがアルコール依存症を悪化させ愛人とともに猛スピードで
道路を飛ばし木に激突、死亡する。
そして次の自由の象徴アメリカ製「ポップアート」とつながっていく。
自由と言う名で国家戦略にコントロールされるのはいつも若者と大衆なのだ。
私のPCペイントの作画プロセス
デッサン代わりのスナップ写真を活用しています。
構図上の配置、色調、トーン、陰影などを整え、一つの画面に組立て下絵となるものを作ります。
デジカメやPhotoshopによるパソコン作業ですが内容的には古典的プロセスそのものです。
次はパソコンのペインターソフトとペンタブレットを用いアナログ入力で描いて行きます。
トレース、絵の具(水彩、油性、パステル、鉛筆など)、筆サイズから色のブレンド、引き筆、ブラッシング、
消しゴム、レイヤーとソフトの機能は多彩ですが、作風で使用する機能はおおよそ限られてきます。
このようなソフトをよく作り上げたものだと感心するばかりです。
後はどこで終了、完成とするかは本人しだい。
「おとうさんと手をつないでお散歩だい」の絵のエスキースにした緑の島でのスナップ写真です。

描き完成です。(8月19日のブログにて公開済みです)

デッサン代わりのスナップ写真を活用しています。
構図上の配置、色調、トーン、陰影などを整え、一つの画面に組立て下絵となるものを作ります。
デジカメやPhotoshopによるパソコン作業ですが内容的には古典的プロセスそのものです。
次はパソコンのペインターソフトとペンタブレットを用いアナログ入力で描いて行きます。
トレース、絵の具(水彩、油性、パステル、鉛筆など)、筆サイズから色のブレンド、引き筆、ブラッシング、
消しゴム、レイヤーとソフトの機能は多彩ですが、作風で使用する機能はおおよそ限られてきます。
このようなソフトをよく作り上げたものだと感心するばかりです。
後はどこで終了、完成とするかは本人しだい。
「おとうさんと手をつないでお散歩だい」の絵のエスキースにした緑の島でのスナップ写真です。

描き完成です。(8月19日のブログにて公開済みです)

絵ってなんだろ?2 写真のような絵と 絵のような写真
1、 写真のような絵を描くための歴史を辿ると、5世紀の中国では既に木枠に絹を張り遠景を透かしトレースをして描いていたようです。ヨーロッパでは15世紀カメラ・オブスクラ呼ばれる装置を用い部屋を大きなピンホールカメラにして暗くした部屋の壁に像を投影し実景に似た絵画を描きました。今のプロジェクター投影に近いですね。
透視図法、遠近図法、空気遠近法、黄金分割による構図や配置、ムーヴメント、色彩学、色調、トーン、中には、グラッシー技法(モノクロの上に透明絵の具を重ねる)今で言うパソコンソフトのレイヤーと同じ様な技法を開発し、ダヴィンチは人体の詳細を知る為に解剖までしましたね。クライアントの要望をかなえる為に手描きの写真化技法を極めていく努力は想像以上で驚嘆します。
2、写真はどうでしょう。写真機の発明からストレート写真と言われる記録写真・肖像写真を経てピクトリアリスム(絵画的な写真)、からストレートフォトグラフィ・モダニズムの写真の時代、報道写真の時代、多様化・混沌の時代(現代美術としての写真の時代)へと変遷します。
現在はカメラの普及とともに、その写真の背景にあるものを含めて評価されるようになり、写真家や美術家だけではなく誰もが写真作品を制作できる時代が訪れました。
現在のデジタルカメラはソフト内臓のハイテク機器、画像撮影に必要な設定も自動処理してくれますね。
PC(パソコン)ペイントは逆にハイテク機器にペイントソフトとペンタブレットを介して手によるアナログ入力と逆行です。
絵画教室の先生や写真家の方が、その作品の背景にあるものを表現しなさいとよく言われますね。
百花繚乱の芸術の時代、その背景にあるものを、ラカンの用語、(現実界、想像界、象徴界)を用いて哲学や精神分析で解こうとされる方も居られますが、私には難しくて理解しきれません。
又、公立はこだて未来大学で人工知能画を研究されている向山教授は「なぜ人間が絵を描くことが出来、また鑑賞し、理解できるのか」絵画が本来的に持つ役割について研究を続けられています。函館なのでチャンスがあれば一度お会いできればなと思っています。
今のところ、時間の遠近法の表現を模索している者としては、写真のデジタルデーターであれ、ソフト上のデジタルデーターであれ、手書きであれ、空想であれ描く手段にこだわりはほとんどありません。時代の恩恵を活用し、数千年前数百年前に製作されたものに今も感動を与えてくれる秘密へ少しでも近づけられたらと思うのです。
1、 写真のような絵を描くための歴史を辿ると、5世紀の中国では既に木枠に絹を張り遠景を透かしトレースをして描いていたようです。ヨーロッパでは15世紀カメラ・オブスクラ呼ばれる装置を用い部屋を大きなピンホールカメラにして暗くした部屋の壁に像を投影し実景に似た絵画を描きました。今のプロジェクター投影に近いですね。
透視図法、遠近図法、空気遠近法、黄金分割による構図や配置、ムーヴメント、色彩学、色調、トーン、中には、グラッシー技法(モノクロの上に透明絵の具を重ねる)今で言うパソコンソフトのレイヤーと同じ様な技法を開発し、ダヴィンチは人体の詳細を知る為に解剖までしましたね。クライアントの要望をかなえる為に手描きの写真化技法を極めていく努力は想像以上で驚嘆します。
2、写真はどうでしょう。写真機の発明からストレート写真と言われる記録写真・肖像写真を経てピクトリアリスム(絵画的な写真)、からストレートフォトグラフィ・モダニズムの写真の時代、報道写真の時代、多様化・混沌の時代(現代美術としての写真の時代)へと変遷します。
現在はカメラの普及とともに、その写真の背景にあるものを含めて評価されるようになり、写真家や美術家だけではなく誰もが写真作品を制作できる時代が訪れました。
現在のデジタルカメラはソフト内臓のハイテク機器、画像撮影に必要な設定も自動処理してくれますね。
PC(パソコン)ペイントは逆にハイテク機器にペイントソフトとペンタブレットを介して手によるアナログ入力と逆行です。
絵画教室の先生や写真家の方が、その作品の背景にあるものを表現しなさいとよく言われますね。
百花繚乱の芸術の時代、その背景にあるものを、ラカンの用語、(現実界、想像界、象徴界)を用いて哲学や精神分析で解こうとされる方も居られますが、私には難しくて理解しきれません。
又、公立はこだて未来大学で人工知能画を研究されている向山教授は「なぜ人間が絵を描くことが出来、また鑑賞し、理解できるのか」絵画が本来的に持つ役割について研究を続けられています。函館なのでチャンスがあれば一度お会いできればなと思っています。
今のところ、時間の遠近法の表現を模索している者としては、写真のデジタルデーターであれ、ソフト上のデジタルデーターであれ、手書きであれ、空想であれ描く手段にこだわりはほとんどありません。時代の恩恵を活用し、数千年前数百年前に製作されたものに今も感動を与えてくれる秘密へ少しでも近づけられたらと思うのです。
絵ってなんだろ?no.1
以前「I ロボット」という映画を見たなかで、I ロボットが夢を見たと言い、その夢を卓上の用紙に製図の図面を出力する高速プロッターのように精確に描きだすシーンがありました。
「描く」を辞書で引くと、「絵やその他の方法で、その人の考えや見た物を表現する」とあります。さらに、「絵とは物の形や、何かが行われた状況を、記号などに頼らず、直接的・印象的に線や色彩によって素材の面に再現したもの。(芸術作品として)受けた感動を視覚的に再現したり、心象を表現したりしたものや、記録性を重視したものなど、多岐にわたる。」〔広義では、映画・テレビなどの映像をも指す〕
I ロボットは確かに絵を描いたことになりますね。
絵の歴史を大ざっぱに辿れば
1、原始時代アルタミラの洞窟の壁面に直接描いていた呪術美術と言われるものに始まり
2,農業社会の時代は、農業を開始して,人間が人間を支配するようになると、〈象徴界〉の精神を生み出し宗教絵画が出現します。ヨーロッパの絵画は実在するものごとと、物質上存在しないものごとを現実に存在するかのように、手描きの写真化技法を極めていきます。
3,工業社会は、19世紀のアナログ写真の発明により=映像制作が自動化され、絵を手で描くという技術が、写真技術に追い越されてしまいます。その結果、近代におけるモダンペインティングは、手で絵を描くという、技術を、芸術化することで開花しました。
20世紀には多種多様な芸術が氾濫します。例として、コンセプチュアル・アートは、アイデアまたはコンセプトがもっとも重要であり、制作行為に意味はなく、「文書による指示のみで作品とする」となってしまった。
芸術の世界は百花繚乱、何でも有りの状態ですが、これは表現の脳内自由化にたどり着いたと言えるのではないでしょうか。
4,現在の情報社会は、コンピューターの発明とインターネットの登場によりデジタル化された映像が、物質的な支持体から自立する表現を成立させ、物体としては存在しなくてもデジタルデーターとしてネット上に浮遊する存在にもなりました。
I ロボットは夢(まだ存在しない状況)を第3者に伝える目的の為に確かに絵を描きました。
その画像が、直接パソコンのモニターに映し出された場合は「映像を表現した」と言わなければならないのでしょうか?
パソコンで絵を描いているとふと、I ロボットのことが脳裏をよぎるのでした。
以前「I ロボット」という映画を見たなかで、I ロボットが夢を見たと言い、その夢を卓上の用紙に製図の図面を出力する高速プロッターのように精確に描きだすシーンがありました。
「描く」を辞書で引くと、「絵やその他の方法で、その人の考えや見た物を表現する」とあります。さらに、「絵とは物の形や、何かが行われた状況を、記号などに頼らず、直接的・印象的に線や色彩によって素材の面に再現したもの。(芸術作品として)受けた感動を視覚的に再現したり、心象を表現したりしたものや、記録性を重視したものなど、多岐にわたる。」〔広義では、映画・テレビなどの映像をも指す〕
I ロボットは確かに絵を描いたことになりますね。
絵の歴史を大ざっぱに辿れば
1、原始時代アルタミラの洞窟の壁面に直接描いていた呪術美術と言われるものに始まり
2,農業社会の時代は、農業を開始して,人間が人間を支配するようになると、〈象徴界〉の精神を生み出し宗教絵画が出現します。ヨーロッパの絵画は実在するものごとと、物質上存在しないものごとを現実に存在するかのように、手描きの写真化技法を極めていきます。
3,工業社会は、19世紀のアナログ写真の発明により=映像制作が自動化され、絵を手で描くという技術が、写真技術に追い越されてしまいます。その結果、近代におけるモダンペインティングは、手で絵を描くという、技術を、芸術化することで開花しました。
20世紀には多種多様な芸術が氾濫します。例として、コンセプチュアル・アートは、アイデアまたはコンセプトがもっとも重要であり、制作行為に意味はなく、「文書による指示のみで作品とする」となってしまった。
芸術の世界は百花繚乱、何でも有りの状態ですが、これは表現の脳内自由化にたどり着いたと言えるのではないでしょうか。
4,現在の情報社会は、コンピューターの発明とインターネットの登場によりデジタル化された映像が、物質的な支持体から自立する表現を成立させ、物体としては存在しなくてもデジタルデーターとしてネット上に浮遊する存在にもなりました。
I ロボットは夢(まだ存在しない状況)を第3者に伝える目的の為に確かに絵を描きました。
その画像が、直接パソコンのモニターに映し出された場合は「映像を表現した」と言わなければならないのでしょうか?
パソコンで絵を描いているとふと、I ロボットのことが脳裏をよぎるのでした。
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